濱沖敢太郎のブログ

濱沖敢太郎(教育学)のブログです。主に研究教育のメモとして使おうと思っています。

日記210618

全部は読んで無いけども...

教科書or入門書が何のためにあるのか、作るのか、使うのかということにずっと悩んでいるのだけど、またまた悩む。

 

前著の『これからの質的研究法』と少し比べてみたんだけど、仮に(あくまで仮に、です)どちらかを使って研究の基礎的事項を教える科目を担当しろと言われたら、新著の方を使う。主な理由は、いずれの本もカタログとしての性格が強い中で、新著の方が執筆者の数が多いから。あとは、当然章によるけど前著より新著の方が、テーマや問いに関する裏話の記述が多いように感じるので、様々な研究へのイントロとしては取っつきやすいのかなということもある。

 

それと新著はすべての章が学会誌の論文と紐付けられていて、本に示された研究プロセスとそのアウトプットを読者がよりセットで確認しやすくなっているところはある。んで、一番の問題はここで、なんで論文のタイトルリストを紙1枚で配布するだけではいけないのか。これについて(編)著者たちはどう考えているんだろうか。論文のチョイスが腕の見せ所というのは絶対あって、さらにカタログがあって悪いことはないということまでは同意できる。でも、イントロ的内容にとどめたカタログが研究へのガイドとして適切かどうかは別問題であって、この本を(編)著者たちが授業で使うとしたらどんな感じかなというのは聞いてみたい。紙1枚配布ではなんでダメなの?と書いたけど、導入科目を担当するとしたらなんかこういう入門書を第一ステップとして提示した方がやっぱりいい気もするもんな。悩ましい。

 

...というのとは別に、教科書or入門書は授業外でこそ→自学自習で何かやってみたいなという人向けのガイドとして一番威力を発揮するような気もしているので、タイトルリストをどっかのブログに掲載するよりはこうやって本にしてもらえると、学会誌へアクセスする人も増えて顧客開拓というか、論文読者の裾野を広げるという意味ではすごくいいタイプの本だなぁと思いました。※分野やテーマのことをさもよくまとめたような感じで、その実、この一文の根拠はどの文献or論文やねん!みたいな記述が多い教科書が苦手です。

 

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